ETERNAL SLAVE ZERO Ⅱ

世界観(中世ルシアの歴史)

※ルシア(神聖ルシア帝国)とは、本作におけるロシア・ツァーリ国の国名です。

【タタールのくびき】
 ~起~
  かつて、ルーシと呼ばれたこの地には、
  特定の国家をもたないさまざまな部族が混在していた。
  彼らは互いに争い、ルーシの秩序は混沌を極めた。
  
  彼らは争いに疲弊し、王を求めた。
  そこへ現れたのが、開祖リューリクである。
  リューリクは部族をまとめあげ、キエフ大公国を建国した。
  これが9世紀後半――今(西暦1565年)から、約700年前のことである。
  
  こうして一つにまとまったかに見えたルーシであったが、
  それはリューリクの存在による仮初の姿に過ぎなかった。
  大公によってまとめあげられた部族は、
  それぞれが「公」となり、己の領地を治めていたが
  結局は部族間の連携が成されることはなく、
  そればかりか、大公の位をめぐって
  再び争いあうことになる。
  
  そんな中である。
  のちにタタールのくびきと呼ばれることになる、
  悪夢の出来事がルーシを襲うのは――
  
  13世紀初頭。それは突如、東方より襲来した。
 
  チンギス・ハンの孫 バトゥを総司令とする、
  モンゴル帝国 西方遠征軍
  
  部族間で碌な連携もとれないルーシは、
  圧倒的な力を持つ襲来者に対して抵抗らしい抵抗も
  できないまま、蹂躙されつくした。
  モンゴル軍の力は凄まじく、勢いのまま
  首都キエフにまで攻め入り、これを滅ぼす。
  ルーシを支配したモンゴルは、彼らに
  絶対服従を誓わせ、重い貢納を課した。
  辛うじて生き残ったルーシ達は、以降、
  250年以上にもわたって続く辛酸を
  嘗めさせられることになるのである。
   
 ~承~
  ルーシたちがタタールと呼んだ、
  モンゴル帝国による支配が始まってほどなく、
  タタールは内部分裂し、いくつかの国に分かれた。
  
  その中でも、ルーシを支配したのは
  西方遠征隊を率いたバトゥの国である、
  キプチャク・ハンであった。
  
  キプチャク・ハンによる支配は苛烈だった。
  重い貢納に耐えかねて反乱を起こせば町ごと皆殺しにされ、
  おとなしく言うことを聞いていても、気分次第で処刑された。
  そんな彼らに、ルーシの諸公は己の身を守るため、
  仲間を売ることも厭わなかった。
  もともと仲間意識など希薄な者たちである。
  彼らはタタールのご機嫌をとるため、
  自ら進んで他の公を貶め、懲罰を与えることを
  タタールに進言した。
  
  ルーシは対立する派閥を潰すために
  タタールの力を利用していたが、
  タタールもまたルーシの対立構造を利用していた。
  
  ルーシの特定の勢力が力をつけすぎれば、
  いずれ自らへ牙を剥かないとも限らない。
  勝手に潰しあってくれれば、
  これほど統治が楽なことはない。
  
  そんな支配が200年近くも続いた末、「その時」は
  14世紀末にようやく訪れるのである――
  
 ~転~
  14世紀中ごろ、キプチャク・ハンがここへきて衰退を始めた。
  バトゥの血統が途絶え、後継者争いが絶えなくなったのだ。
  
  現在の帝都ルシアにあった、当時の大公国――
  モスクワは、このチャンスを逃さず、反旗を翻した。
  
  時のモスクワ大公ドミートリーは、歴史上初めて、
  野戦において騎馬民族であるタタールを打ち破ったのである。
  
  この勝利は局地的なものにすぎず、
  大局では敗北を喫してしまうのであるが――
  
  しかし、反撃の狼煙は確実にこのとき、
  あがったのであった。 
  
 ~結~
  そしてさらに時は過ぎ――15世紀末。
  
  現在のツァーリ――イヴァンⅣ世の祖父にして、大帝。
  大英雄イヴァンⅢ世が勝利を決定的にした。
  
  西にはリトアニア、ポーランド、ドイツ。
  北にはスウェーデン。
  そして東と南にはキプチャク・ハン。
  この全方位が敵の窮状は依然続いていた。
  
  大帝は、この窮状を脱するためには
  これまでのルーシでは駄目だと考えた。
  まずは依然連携することを知らない諸公を
  力ずくでねじ伏せ、自らのモスクワ大公国が
  ルーシの頂点であることを知らしめた。
  
  大帝は、諸公からさまざまな特権を奪い取り、
  血筋に胡坐をかいて私欲を貪ることを不可能にした。
  利益を得るためには、大帝に従い、勤めなければならなかった。
  
  各地を監督する省庁の設立、統一された法律の制定――
  他にも、彼は国を一枚の岩とするためさまざまな改革を
  断行し、中央集権化を推し進めた。
  また、大帝は、外敵との戦いにおいても多くの功績をあげた。
  
  こうして、大帝の在位中にモスクワ大公国の領土は
  3倍にも広がり、その地位を確固たるものとしたのであった。
  
  そして時は過ぎ、ツァーリ――
  イヴァンⅣ世の時代となる。

【ツァーリの生い立ち】
 ~起~
  英雄イヴァンⅢ世の子にして、先王であるヴァシーリーⅢ世には、
  4人の兄弟がいた。先王は我が子に後を継がせたかったが、
  なかなか子宝に恵まれなかった。

  彼は自らの世継ぎが生まれないまま
  他の兄弟の子が次代の大公となることを恐れ、
  苦肉の策として、自分に子供が生まれるまで
  4人の兄弟たちに結婚することを禁じた。
  ――しかし。
  20年たってもいっこうに大公妃ソロモニヤとの間に
  子供が生まれる気配はなかった。
  兄弟にも結婚を禁じていたため、このとき、あやうく大公の血は
  途切れる寸前だったのである。

  ついにソロモニヤとの間に子を設けることを断念した
  ヴァシーリーⅢ世は、婚姻を無効とし、彼女を修道院へと追いやる。
  そうして次に選ばれた大公妃がエレナ・グリンスカヤである。

  正教会の反対を押し切っての強引な離婚、そして再婚。
  さらに、先王が新たな大公妃に選んだのは新興貴族の――
  それもリトアニアから亡命してきた一族の娘であった。

  このとき、正教会は
  「この呪われた結婚は、呪われた君主を生むだろう」
  と予言している。

  イヴァンⅣ世はそんな複雑な環境下で生誕した。
  
  ヴァシーリーⅢ世は、イヴァンⅣ世がわずか3才の
  ころに病死してしまうが、このとき遺言を残す。
  彼の念願であった我が子に後を継がせるように――
  
  こうして大公を継いだイヴァンⅣ世であったが、
  わずか3才である。当然、執政は別の者が行う必要があった。
  
  執政者としての大公不在の状況に、政治的混乱が予想された。
  しかしこの状況を大帝イヴァンⅢ世顔負けの強引な手腕で
  収拾したのが、外ならぬエレナである。
 
  美しいだけでなく、聡明かつ行動力の化身でもあった
  彼女は、誰よりも早く疾風――いや、雷鳴のように行動を開始する。
  
  彼女は幼きイヴァンⅣ世の障害となりそうな者を次々と粛清してゆく。
  その徹底ぶりたるや、粛清された者の中には
  自らの叔父すらも含まれていたほどである。

  こうして先王のすべての兄弟と障害となる人物を
  排除した結果――エレナとイヴァンⅣ世に
  安寧の時が訪れた――はずだった。
   
 ~承~
  度が過ぎる粛清は行ったものの、
  内政・外交ともに数々の功績をあげたエレナにより、
  モスクワ大公国の情勢は安定していった。

  ほとんど母に会うことはできなかったイヴァンⅣ世。
  彼は、母の側近でもあり、自らの世話係でもあった
  オフチーニンによってさまざまな母の武勇伝を語って聞かされた。
  あわただしく宮廷を駆け回る、会えない母への
  憧れを募らせた幼君は、次第に彼女を神格化してゆく。
  しかし、そんな時も永くは続かなかった。
  
  多忙を極め、寝る間も、息子に会う間もなく
  働き続けたエレナは、イヴァンⅣ世がわずか
  7才のころに病死してしまう。
  
  旧家のシュイスキーによる毒殺という説もあるが、
  真相は不明である。
  ……だが、少なくともシュイスキーら旧家の貴族が、
  エレナの死を祝日のように喜んだことは確かである。
  
  ともあれ、偉大な母を失ったイヴァンⅣ世は、
  7才にしてはやくもオフチーニンと2人、
  陰謀渦巻く宮廷で戦っていかねばならなくなった。

  エレナに代わって主導権を握ろうとしたのは
  やはりシュイスキーである。
  彼の権力は強く、他の旧家の貴族たちも
  次々と彼に追随していった。
  シュイスキーは、さっそく幼きイヴァンの力を
  奪い取りにかかった。
  そう、彼はオフチーニンがいなければ何もできない
  か弱き7才の男児に過ぎないのだ。
  オフチーニンはシュイスキーらによって粛清され――
  そしてイヴァンには誰一人として味方がいなくなった。
  
  敵がいなくなったシュイスキーら旧家は増長し、
  不遜にも幼きイヴァンの前で堂々と、
  彼の神にも等しき母エレナを侮辱してみせた。
  
  しかしイヴァンには反論一つできなかった。
  彼は大公として「生かされていた」。
  己が名ばかりの存在で、何もできないことは
  わかっていた。
  
  彼は放置された。
  宮廷を我が物顔で闊歩する旧貴族たちは、
  まるでイヴァンが「そこ」にいないかのように振舞った。
  
  幼君はわずか7才の身でありながら、
  教育を受ける機会もなく、
  およそ王とは思えぬボロ布を身にまとい、
  残飯を漁って幼少期を過ごしたのだ。
  
  彼は、いつ暗殺されるともわからぬ激しい重圧の中、
  子犬などの小動物を虐待して殺し、
  町に出ては無抵抗な住民を暴行して
  ストレスを発散するようになっていった。
  「雷帝」の素地は、このときに形作られたのだろうか――
  
 ~転~
  エレナ亡き後、シュイスキーら旧貴族が牛耳った宮廷。
  しかし彼らはどの家が実権を握るかで再び権力争いを
  起こしていた。宮廷は腐敗し、混乱し、もはや政治どころ
  ではない状態に陥っていた。
  イヴァンは心底彼らを軽蔑した。
  
  そして耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで
  13才を迎えた彼は、ついに行動に出る。
  
  1543年 12月――
  
  「大貴族たちは権力を私物化し、国庫から着服し、
   君主である余に対して見せかけの敬意すらも払わない。
   この前は身の程知らずにも、大公の椅子に勝手に座り、
   余の姿を見てもそのまま座り続けていた」
  
  「だがシュイスキー、そちらは余に大切な事を教えてくれた。
   そちらは余の目の前で公然と政敵を殺害し、
   宮廷といえど弱肉強食の世界であり、そこでは
   強さと冷酷さこそが正義であると教えてくれたのだ」
  
  「余は名ばかりの大公……それも13才の子供でしかない。
   しかし大公とは神によって与えられた地位である。
   つまり余は神によって選ばれた君主のはずだ」

  「その君主に逆らうそちらは、神への反逆者。
   ならば……神は背教者と戦う余を、
   必ずや奇跡でもって助けて下さるはずだ!」

  もはやイヴァンは力無き幼君ではなかった。
  彼は偉大なるルシアの父として目覚めかけていたのだ。
  
  彼は、執政を行う貴族のそうそうたる面々がそろう
  会食の最中に、堂々とシュイスキーの蛮行を
  断罪せんと声をあげるという危険な賭けに出た。

  賭けは5分5分。
  下手をすれば、シュイスキーの権力が上回り、
  逆に自分が殺される可能性もあった。

  しかしイヴァンは神の奇跡を信じた。
  結果は……彼の勝利だった。
  
  シュイスキーの専横を面白く思わない他の貴族たちが
  揃ってイヴァンを支持したのだ。
  
  結局のところ、依然として彼は貴族らの権力争いに
  利用される道具でしかなかった。
  
  だがそれでもいい。
  イヴァンはこの時初めて、自らの意思で声をあげ、
  一つの腐敗した大貴族を葬ることに成功したのだから。
  
 ~結~
  1547年。
  15歳を迎えたイヴァンは、ついに戴冠。
  「ツァーリ」を名乗り、モスクワ大公国を
  神聖ルシア帝国と改名する。
  
  彼がシュイスキーを葬って以降、旧貴族たちは
  ガラリと態度を変え、ツァーリにすり寄るようになっていた。
  彼が無力な赤ん坊ではなく、強大な虎へと
  成長を遂げつつあることをみな、肌で感じていたのだ。
  
  幼いころはストレスのあまり弱い者を虐待することも
  あった彼だが、このころになるとそのような粗野な
  振る舞いはすっかり鳴りを潜めていた。

  ツァーリの精神の安定に大きな役目を果たしていた
  人物が2名いる。
  
  1人は他でもない、アナスタシア・ロマノヴナ――
  ツァーリが最も愛した、最初の妻である。
  
  ツァーリは、15歳になると同時に
  アナスタシアとの結婚を表明。
  彼との血のつながりを持っておきたかった旧貴族は、
  突然の話に大いに落胆した。
  アナスタシアは新興貴族の出身だったのである。
  それもそうだろう。ツァーリは幼少期から
  さんざん彼らの腐敗を目の当たりにしてきたのだ。
  もはや旧家など、彼の眼中には一切入っていなかった。
  
  アナスタシアは非常に慈悲深く、懐の大きな女性だった。
  彼女はまさしく、ツァーリという抜き身の剣の鞘とも
  いうべき存在であった。
  彼女は、短気なツァーリをうまくなだめて手綱を握り、
  常にみなにとって良い結果になるようコントロールした。
  
  もう1人は信心深いツァーリにとって、全幅の信頼を置ける
  神学の師である、マカリー府主教
  マカリーは、アナスタシアとは異なったアプローチで
  ツァーリの感情をうまくコントロールした。
  短気なツァーリに、皇帝たるものどうあるべきか、
  宗教的・倫理的な側面から十全に教育を施した。
  
  若きツァーリは、彼らのサポートも受けながら
  さまざまなルシアの腐敗を取り除き、
  抜本的な改革を推し進めていくこととなる。
  
  ツァーリは自ら、新興貴族から埋もれていた有能な
  人材を抜擢し、また、神の名を盾に権力と財を貪る
  教会に対しても距離を置き、それらにまるで興味を
  示さない奇特な司祭シリヴェストルと親しくした。
  
  軍事のクルプスキー。
  政治のアダシェフ。
  教会のシリヴェストル。
  これらは単に部下というだけでなく、
  ツァーリにとって信のおける友人でもあった。
  
  愛すべき妻、尊敬する師、
  そして信頼できる仲間たち。
  ツァーリの黄金時代ともいうべき13年間は、
  こうして幕を開けた。
    
  内政では、腐敗した代官制度の撤廃、
  外交、財政、治安、軍事、様々な管轄の省庁の整備。
    
  軍事では、1552年にカザン・ハンを陥落させ、
  1556年にはアストラハン・ハンも征服。  
    
  200年以上にもわたり苦しめられたタタールから、
  彼らは容易く勝利をもぎ取った。  
    
  ツァーリはこうして全ルシアの父とまで
  呼ばれるほどの偉大な皇帝となったのだ。  
  
【雷帝イヴァンⅣ世】
 ~起~
  全てが順調と思われたツァーリだが、
  しかし同時に異変も起きつつあった。
  1553年 3月。
  ツァーリは、病に倒れていた。

  容態は深刻であり、誰もが死を覚悟した。
  ツァーリ自身も死を悟り、後継者として
  アナスタシアとの間に生まれたばかりの赤子
  ドミトリーを指名する。
  ――しかし。

  改革以降、徹底的に冷遇されてきた旧貴族は
  ここぞとばかりに彼の意思に沿うことを拒否した。
  旧家は自らが擁する、王の血を継ぐ者――
  ミハイル・アンドレイヴィチ・ウラジーミル
  を次のツァーリとする意思を示したのだ。
  ミハイル公は、ツァーリの母エレナによって
  皆殺しにされた王の血族の中で唯一の生き残りであった。

  ツァーリは旧家では話にならないと、
  親友であるアダシェフに旗を振ってくれるよう懇願した。
  しかしアダシェフまでもが難色を示した。
  アダシェフは、これだけ貴族が拒絶を示している以上、
  かつてのエレナと幼君イヴァンⅣ世のときのように
  宮廷内の混乱は避けられないと判断したのだ。
  彼はせっかく安定してきたこのルシアの地盤を
  再び根底から揺るがすような、血で血を洗う粛清戦が
  起きることはなんとしても避けたいと考えていた。
  これもまた、やむなき判断ではあった。

  この問題は、意外にもあっさりと解決する。

  一時は死の淵を彷徨ったツァーリは、無事快復へと向かった。

  だが――ツァーリの心の奥底には、
  このとき確かに、真っ黒な何かが生成されたのである。
   
 ~承~
  病から明けたツァーリは、
  これまでの光に満ちた世界から一転、
  全てが疑わしく見えるようになっていた。
  たとえ親友のアダシェフであっても、である。

  改革を推し進めて10年が経ち――しかし未だ道半ばである
  それらを見て、しだいにアダシェフはわざと改革を
  完了させず、ツァーリである自分を欺いていると
  感じるようになっていったのではないか。
  
  さらに、1558年。
  リヴォニア王国を征服し、イギリスとの通商のための
  海路を確保することを主張したツァーリに、
  またしてもアダシェフが難色を示す。
  西方は数多の強国がひしめき合う複雑怪奇な情勢であり、
  彼はうかつに西方の国に手を出すべきではないと考えていた。

  アダシェフは、西方進出の前にまずはタタールを
  完全に叩くことを主張した。
  南にはまだ、クリミア・ハンが残っていたのである。
  
  しかしツァーリはこれに耳を貸さず、
  リヴォニア征服を強行する。
  軍総司令であるアダシェフとの意思統一が
  十分でないままの開戦。
  緒戦は勝利したものの、続々と他国の四方八方から
  やってくる「義による救援軍」の介入により、
  徐々に情勢は厳しくなってゆく。
  
  アダシェフは一刻も早くこの戦争を切り上げ、
  南方のクリミア・ハン対策をしたいと焦っていた。
  折よく、デンマークの仲介のもと、
  リヴォニアから休戦の申し出が出される。
  アダシェフはこれを受けてしまった。
  
  我が子の即位の拒否。
  改革の未完了。
  西方進出への反対。
  土壇場での休戦の受諾。

  全ての歯車が、狂っていく――

 ~転~
  1560年。
  ツァーリにとって、全てを狂わせる
  決定的な出来事が起こる。
  
  最愛の妻、アナスタシアの病死――
  しかも、これは魔術による謀殺だと噂された。
  
  ツァーリがそれを信じたかどうかは定かではない。
  しかしかねてから疑心を募らせていたアダシェフは、
  これが決定打となり、左遷された。
  同時に権力者たちとの調整者であり、
  内政の潤滑油のような存在であった
  シリヴェストル司祭をも彼は同時に切り捨てた。
  
  ツァーリの黄金期を支えた者たちのうち――
  はやくも、アナスタシア、アダシェフ、シリヴェストル
  が脱落したのであった。
  そして――

  1563年。
  ついにツァーリの精神面を支えたもう1人の人物。
  マカリー府主教までも病死してしまう。
  
  このころにはもはや、ツァーリの暴走を
  止められる人物は誰一人としていなくなっていた。
  トドメは最後に残った彼の忠臣――
  アンドレイ・クルプスキーである。
  
  1564年。
  ツァーリによって敵国リトアニアとの内通を疑われ、
  処刑の危機にあったクルプスキーは、
  リトアニアへと亡命した。
  
  こうして、ツァーリは己の手足を全て自ら切り落とし、
  孤独な雷帝へと変貌を遂げたのだった。

 ~結~
  リヴォニア戦争は大失敗の結果となった。
  ツァーリの責任を問う煩い貴族を黙らせるため、
  彼は異常な行動へと出る。

  1564年12月。
  ツァーリは、突然退位を宣言する。
  政治機能は全てストップし、国内は大混乱に陥った。
  全ては計算ずくである。
  貴族が民衆から全く信頼されていないことは
  彼もよくわかっていた。
  ツァーリが戴冠する以前――
  お飾りの大公を尻目に、国庫を着服し、
  民衆から重税を搾取していた旧貴族たちは、たまりかねて
  暴動を起こした民衆に撲殺された「前例」がある。

  ツァーリは国民に手紙を出した。
  自らもまた国民と同様、私欲を貪る旧家に
  虐げられる存在なのであると。
  怒りに震える国民は、再び貴族の家々を
  今にも襲撃せんばかりの勢いとなる。
  恐れをなした貴族たちは、
  ツァーリに頭を垂れ、復位を求めた。
  ツァーリの完全勝利である。
  
  彼は復位の条件として非常大権を認めさせた。
  これによって、全ての決定が全国会議を必要とせず、
  ツァーリの意思一つによって行われることとなった。

  「雷帝」の恐怖政治の始まりである――
  
  既に全ての手足を失っていたツァーリは、
  新たに自らの手足となるべき存在を組織する。
  それがオプリーチニキである。
  
  彼はルシアの地を重要な地(オプリーチニナ)と
  そうでない地(ゼムシチナ)に分け、重要な地は
  旧家の領地であっても有無を言わさず没収し、
  自ら選抜したオプリーチニキに統治を任せた。

  いわずもがな、オプリーチニキに旧貴族は含まれておらず、
  全ては新興貴族――いや、中には貴族ですらない者もいるという。

  ルシアの武力の象徴として担ぎ上げられた
  死を運ぶ黒き三羽の烏――三羽烏がその最たるものだ。
  
  「雷帝の剣」と呼ばれた武神アレイン・クォールなどは、
  元が何百人もの商人を襲っていた山賊らしいということが
  公然の秘密となっている。

  彼らを筆頭に、オプリーチニキの横暴は目に余るが――
  誰か来たようだ。少し筆を置くことにする。
        


更新履歴

  • 2018年09月05日公開 new

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